札幌オリンピックの歴史

1972年に開催された第11回冬季オリンピック。
当時の大会の様子や札幌の街の変化を貴重な資料で振り返ってみよう。

冬季オリンピックを札幌に

札幌招致委員会設立総会の様子(1961年)と第11回大会の開催を獲得し、
イタリアから帰国した原田市長(当時)の凱旋パレードの様子(1966年)。アジアでは初となる大会の決定でした。
1972年の開催からさかのぼること32年、1940年に一度開催が決定していた札幌オリンピックは、
日中戦争の影響により開催権を返上した幻の冬季オリンピックでした。
その後、第10回、第11回の招致は続けて行われ、戦後の招致活動は事実上このときから始まったといえます。

札幌招致委員会設立総会の写真(1961年)

第11回大会の開催を獲得し、
								イタリアから帰国した原田市長(当時)の凱旋パレードの写真(1966年)

ウィンタースポーツの発展に寄与する、今に伝わる競技場

オリンピック開催によって札幌市内には様々な競技場が建設され、いまも札幌市民に親しまれています。
なかでも大倉山ジャンプ競技場や宮の森ジャンプ競技場は、市内を一望できる観光地としても人気が高く、
また真駒内の屋内外各競技場では、スケートの国際大会やマラソン大会などが盛んに行われ、
スポーツイベントの開催地としても知られています。

大倉山ジャンプ競技場
(90m級:現ラージヒル)

宮の森ジャンプ競技場
(70m級:現ノーマルヒル)

札幌市美香保体育館

札幌市月寒体育館

真駒内屋内競技場
(現真駒内セキスイハイムアイスアリーナ)

真駒内屋外競技場
(現セキスイハイムスタジアム)

手稲山
(サッポロテイネ)

札幌オリンピックが残したもの

1972年に開催された札幌オリンピック(第11回冬季オリンピック大会)
によって建設・整備されたのは競技場だけではありません。オリンピック開催決定によって、
都市機能を高めるため活性化や利便性を加速する動きが生まれ、
これに合わせて開業された札幌市内の交通網や商業施設はいまも札幌市民にとって欠くことのできないものです。

オリンピック選手村
(現:真駒内団地)

北海道青少年会館
(プレスセンターとして使用)

大会運営事務局
(現:真駒内曙中学校)

さっぽろ地下街開業
(1971年)

札幌市営地下鉄開業
(1971年)

北海道厚生年金会館(1971年)
現:ニトリ文化ホール

地域暖房(ボイラープラント)の整備